負け犬のオーボエ

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ミニ四駆ブームの被害者

予め断っておくが今回は長文である。まず喘息の話。

小学校の頃、僕は喘息持ちだった。

月に一度くらいは発作が出ていただろうか。その都度平日の夜中でも父が車で救急外来に連れていってくれた。きっと父も仕事で疲れて眠りたかっただろうに。

 

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※携帯用の吸入器。グーニーズのマイキーも持ってましたね。その節はお世話になりました。

 

そして、実は父もまた喘息持ちであった。

40歳になった頃急に発症したらしい。仕事のストレスだと父は言っていた。家庭のストレスもあったかもしれない。別にうちの家庭が上手くいってなかった訳ではない。家庭を持って自分が養うというその事自体が幸せでもあり、そして大きなプレッシャーでもあるのだ。今だからわかる。

 

ちなみに僕の喘息は中学で部活を始めたら自然に治ったが、最近になって年に一度くらい「咳喘息」という症状が現れるようになった。難儀なものである。

 

話は変わるけど「ミニ四駆」について

小学校3年の頃に空前のミニ四駆ブームが訪れた。恐らくそのころコロコロコミックで連載していた「ダッシュ四駆郎」の影響だろう。

とにかく、それまでウンコを棒に刺して遊んでいた僕らはみんな棒を捨て、気がついたら代わりにミニ四駆を手にしていた。猿がある日「知恵の林檎」を口にしたかの如く、僕らは普段の会話でも車体の軽量化やコーナーにおけるバランス、モーターの性能差やギア比という話題をするようになったのだ。タミヤすげえ。

そういうわけで僕も愛機「アバンテJr」を手に、毎日放課後はサーキットのある模型屋に入り浸ってお小遣いの大半をパーツ購入に費やしていた。

 

タミヤ レーサーミニ四駆シリーズ No.14 アバンテJr. 18014

タミヤ レーサーミニ四駆シリーズ No.14 アバンテJr. 18014

  • 発売日: 2012/05/26
  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 

この「パーツ」がまた非常に豊富で、値段も100円から数百円程度と子供でも買えるし親にもねだりやすい金額であった。とてもよくできたビジネスモデルだ。これを当時からやってたのはすごい。タミヤほんとにすげえ。これも今だからわかる。

 

そんなある日、土曜の午後から友達の家に集まりサーキット会が行われる事になった。

そいつは金持ちの子で、家に立派なコースはあるわ親だか兄貴だかの手が入ったフルチューンのミニ四駆を10台以上も保有するわ、まあ当時は嫌な奴だった。全国大会にも出たらしい。

 

そいつをギャフンと言わせたくて少し前からチューニングやパーツを変更したのだが、金曜の夜に試運転したらどうにも宜しくない。というかまともに走らないのである。これはマズイ。

朝、電池を入れ替えてみてもやっぱり同じである。ただの子供の遊びだが当時の僕少年にとっては自身のアイデンティティに関わる問題である。

僕少年の出した結論はギアの入れ替えであった。恐らくチューニング後のマシンにギア比があっていないのであろう。そういえば新しいギアセットが発売されてた。あれに変えれば速くなるはずだ、そうに違いない! (駐: もっともらしい事を言っていながら、当時メカニズムについては少しも理解していなかったのです。)

 

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しかし模型屋は家から自転車で30分の距離だ。よくそんなところに毎日通っていたものである。もし行ったら午後の約束には間に合わないだろう。その日は確か冷たい雨も降っていた。

時間までにパーツを入手するには車を出してもらうしかないが、その日父は喘息の発作が出て寝込んでいた。

 

普通なら当然諦めるべきところだが、その日の僕少年はどうしても諦められなかった。なんせ自身の存在意義に関わる事態である。そして涙ながらに父に訴え、模型屋に連れて行ってもらうよう頼んだ。

母はいい加減にしろと怒っていたし姉はもう呆れていた。しかし最終的に父は模型屋に連れて行ってくれたのだ。咳き込み喉を鳴らしながら辛そうに運転してくれた横顔を、今でも覚えている。

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こうして僕少年は欲しかったパーツを手にすることができたのだが、結局アバンテJrはちゃんと走らなかった。

確か原因はタイヤがちゃんと付いていなかったとかそんな下らないことだったと思うが、苦しいのに馬鹿な息子の為に車を出してくれた父もとんだ無駄骨である。ミニ四駆ブームの被害者といえるだろう。

 

しかしその時の感謝と申し訳なさは今でも刻まれているし、いま僕が人の親になったからこそわかる他の気持ちもある。

 

父も70になった。仕事も数年前にリタイアし、毎日鳥の写真を撮る母に付き合ったり僕がGoogle Photosに入れて共有している孫の写真を眺めたりしているらしい。仕事をやめて喘息の発作は出なくなったようだ。

父から祖父にクラスチェンジする感覚というのはどのようなものだろう。これは、まだわからない。

 

そして血というものは良くも悪くも受け継がれるもので、もうすぐ2歳になる僕の息子も喘息持ちだ。もう2回も発作で入院している。成長とともに良くなってくれればいいのだけれど、これからも夜中に病院に行くことがしばしばあるだろう。

そして近い将来、僕が咳喘息の発作が出ているときに息子がワガママでどこかに連れて行って欲しいと言いだす事もあるかもしれない。でもその時は誰がなんと言おうと連れていってやろうと思っている。

上手く言えないが甘やかすというのとは違う。「おとうさん」って何というか、そういうものなんだ。きっと。

#今週のお題「おとうさん」